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大畠佑紀(元女子体操選手)18歳で現役引退!出場試合の詳細や現在の様子など

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大畠佑紀さんという方をご存知でしょうか。

14歳にして体操の全日本選手権個人総合優勝し、

翌年の国際ジュニア大会にも出場、

誰もがオリンピック出場を期待し注目が集まりましたが、

何故か忽然と体操界から姿を消してしまいました。

そんな消えた天才、大畠佑紀さんの記事です。

 

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大畠佑紀 プロフィール

名前:大畠佑紀(おおはた ゆうき)

生年月日:1982年1月18日

出身地:埼玉県さいたま市

出身高校:戸田高校

出身大学:筑波大学体育専門学群

大畠佑紀さんは、3歳から器械体操をはじめられました。

大畠佑紀さんの叔母さんが、器械体操の振付師だったため、

体育館に連れて行かれたのが始まりだそうです。

毎日毎日体操をすることが楽しかったと言っています。

持ち前の負けず嫌いの性格もあり、どんどん結果を出していきます。

中学は戸田市立美笹中に進み、中学2年で全国中学生大会で2位。

中学3年時には全国中学生大会で優勝し、

勢いに乗って全日本選手権で個人総合優勝を果たします。

高校2年時にはバンコクで開催されたアジア大会に日本代表として出場し、

団体で銀メダル、個人種目別で銅メダルを獲得しました。

しかし体操競技は高校卒業とともに引退し、

一浪の末、筑波大学体育専門学群に進学

現在はシンガポールへ渡り、

現地法人「Reginaa Pte. Ltd.(レジーナ)」代表取締役兼CEOを務めています。

 

大畠佑紀 現役時代の成績

3歳で体操を始めた大畠佑紀さんは早くから結果を残します。

小学6年生で日本代表の合宿に呼ばれ、中学では全国優勝をしました。

そして、アトランタ五輪の出場者や日本のトップ選手が集い、

日本一を決める全日本選手権でも優勝を果たしています。

主な成績

1994 年 NHK杯 9位 大畠佑紀

1994 年 全日本日本選手権 5位 大畠佑紀

1995 年 全国中学生大会 2位 大畠佑紀

1995 年 全日本ジュニア 16位 大畠佑紀

1995 年 全日本日本選手権 7位 大畠佑紀

1996 年 全国中学生大会 1位 大畠佑紀

1996 年 全日本ジュニア 11位 大畠佑紀

1996 年 全日本日本選手権 1位 大畠佑紀・菅原リサ

1997 年 全日本ジュニア 8位 大畠佑紀

1997 年 全日本日本選手権 5位 大畠佑紀

1997 年 国際ジュニア大会 7位 大畠佑紀

1998 年 NHK杯 3位 大畠佑紀

1998 年 全日本ジュニア 3位 大畠佑紀

1998 年 全日本日本選手権 3位 大畠佑紀

1998 年 高校総体 3位 大畠佑紀

1998 年 アジア大会 団体2

種目別(段違い平行棒)3位  個人総合8

1999 年 全日本日本選手権 - 大畠佑紀

素晴らしい成績ですね。

特に成績が落ちているようには見えませんが、

しかし、大畠佑紀さんはアジア大会で日本代表で2位を獲得した翌年、

高校卒業と同時に体操界を引退します。

 

現役引退 その理由は

体操界のレジェンド池谷幸雄さんも、

「14歳で大人と同じ演技をやっている。期待の星」

「五輪で活躍すると思っていた」

と発言されるほど、期待されていた大畠佑紀さん。

ではなぜ、体操を辞めてしまったのでしょうか?

 

大畠さんご本人は次のように語っています。

「チャンピオンという肩書きにプレッシャーを感じてしまうと、

一度の優勝以降は個人戦で思うような成績が出せず。

指導者との方針の違いに悩み、

モチベーションが下がってもいたこともあって高校卒業と同時に引退。

オリンピックに出場したいという夢は叶いませんでした。」

 

なるほど。理由はご本人しか分かりませんが、

高校2年の時に所属先が長年いた

「戸田スポーツセンター」「京都ジャンピング体操クラブ」

に変わっています。そしてその後に1年も経たずに現役引退しています。

このあたりの指導者との方針が合わなかったという事もあったのでしょうか。

そういえば、近年、体操界はコーチによる

暴力問題

パワハラ問題

体操協会の問題

などがありましたね。これらは昔からあった問題だという事なので、

もしかしたら、大畠佑紀さんの時代もあったのかもしれません。

体操を辞めてしまった大畠佑紀さんですが、現在は全く違う場で活躍されています。

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大畠佑紀 競技引退後~現在は

体操を辞めた大畠佑紀さんは、

両親からのアドバイスで筑波大自己推薦に挑戦しました。

過去の経歴をすべてまとめて論文にし、面接で驚きます。

なんと面接官は10人位いました。

「これまでの経験を無駄にしないためにも、筑波大に入りたいです」

と熱心に伝えたところ、見事合格します。

大学では、体操の経験を活かし、

ダンスサークル”リアルジャム“に入り、ダンスに明け暮れたそうです。

大学卒業後は、人材系大手企業「インテリジェンス」を経て

学生向けインターンシップを企画運営する企業に入社します。

ここの社長の言葉が刺さったと言っています。その言葉は

「大畠さん、世の中で活躍している人はいつも笑顔で明るくて、

みんなが会いたいと思う人ですよ」

当時の大畠さんはスポーツ選手特有の負けん気の強さで、

トゲトゲしく、年上の方にも生意気だったと言っています。

この言葉で目が覚めたようになり、態度が激変したようです。

素晴らしい社長ですね。人格者の社長の言葉で大畠さんの人生も好転します。

外資系のベンチャー企業の社長に誘ってもらい、営業として働きます。

その後、前職の同期が独立し会社を立ち上げて、ここも縁で入社します。

東日本大震災を機に海外進出し、成功。

この時の海外での営業先などの縁でシンガポールにて独立開業しました。

ラテン語で“女王”を意味する“Reginaa(レジーナ)”という会社の代表を務めています。

現在は6名の社員と4名のアルバイト、ハノイに開発チームを抱え

現地の日系メディアとしては最大規模を誇っているそうです。

素晴らしいですね。

体操を現役引退してからも決して順風満帆でなく、

大変苦労されているようです。そして、起業し社長へ。

多忙な中、アルビレックス新潟のチアダンススクールで講師も務めているそうです。

社名の由来でもある「アジアで一番になりたい」

その夢をぜひ叶えられることを願っています。

 

以上、大畠佑紀さんの記事でした。

 

 

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