ジャイアンツの背番号16 川上哲治 | kininaru-cafe

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ジャイアンツの背番号16 川上哲治

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背番号16の主な選手

川上(1938-1964)

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打撃の神様  川上哲治


かわかみ てつはる

1938年熊本工から入団。当初は投手としてでした

試合数1979 打率.313  本塁打181 打点1319 盗塁22
首位打者5回 本塁打王2回 打点王3回

現役時代

1年目から4年間は投手と一塁手の兼任でした。

しかし2年目に打率.338で首位打者を取り、

徐々に打者としての才能を開花させます。

ボールを引き付けて鋭い腰の回転で打つ

「弾丸ライナー」

が川上さんのトレードマークとなります。

戦争の期間を挟んで1946年途中から復帰した川上さんはいきなり3割をマークしました。

1950年8月に1多摩川練習場にてバッティング練習を始めていると、

何十球か打つうちに「球が止まって見えた」不思議な感覚だったといいます。

バットが自然に出て快打の連発します。打撃の神様の境地です。

1951年は打率.377で当時の新記録をマークしました。

驚くべきはそのシーズンの三振数がわずか6だったことでしょう。

あのイチローさんでもシーズン最低三振数(規定打席に達した時)は35ですから、

まさに神様でしたね。

1958年打撃も衰え、

新人で入ってきたミスタージャイアンツ長嶋さんに4番の座を明け渡し、

退しました。

監督時代

引退後即コーチとなり、1961年に監督に就任します。

その年に優勝し、1963年にも優勝、

ON以外にも戦力が整ってきた

1965年~1972年にかけて9年連続日本一という金字塔を打ち立てました。

V9時代は総合力で勝つ野球を追及しています。

「ホームランだけでは勝てない。

ホームランは打てなくてもヒットを打つのがうまい人もいるし、

エンドランだけうまい人、バントだけうまい人、

足だけ速い人、守備だけうまい人。その総合力です」と言っています。

ONの前にランナーを貯めるのはモチロンのこと、

セフティバントの構えを何度もして投手を疲れさせたり、

ファウルで粘って簡単にはアウトにはならない。

後に土井さんや柴田さんは、

当時は凡打してもいいから6~7球投げさせるよう、

それがゲームの後半に必ず効いてくると指示が出ていたと言っています。

それが巨人の戦法、磨かれた野球といえるのかもしれません。

川上野球ともいわれました。

この戦法は、V9戦士森さんがのちに西武で黄金時代のベースとなり、

その後もあちこちの球団で、じっくりと練られて現代風にアレンジされています。

1974年に現役時代の4番を渡したときと同じように長嶋さんに監督の座を渡して退任しました。

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