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ジャイアンツの背番号4 黒沢俊夫

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背番号4の主な選手
黒沢(1946-1947)永沢(1936-1943)

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戦後の巨人を救った 黒沢俊夫

くろさわ としお

1936年名古屋金鯱軍入団。

生涯成績
試合数484 打率.259  本塁打7 打点201 盗塁80

現役時代は存じ上げませんので、いろいろ調べました。

黒沢さんは戦後の巨人を救った選手です。戦争で次々選手がいなくなり、

残った選手はわずか6人になってしまいます。

他チームからの移籍を受け入れ、なんとか16名になり、

このチームをバットで支えたのが黒沢さんです。

全試合出場し、打率.348でリーグ2位を記録しました。

その後川上さんが巨人復帰後は主に5番打者としてチームをけん引します。

ところが、戦後の食糧難や衛生環境が悪い中1947年に腸チフスで入院すると

1週間後に33歳の若さで急死します。

43年から3季連続で全試合出場を続けていました。

栄養不足や疲労が病気につながり、さらに進行を早めたためだと言われています。

黒沢さんの性格は温厚で真面目でした。

チーム内で先輩風を吹かすこともなく、若手からの心配も厚かったそうです。

現役中の選手が病死するという緊急事態に球団は球団葬を行いました。

巨人、選手有志の発案により黒沢さんの着けていた背番号4は

戦死した伝説の大エース沢村栄治さんの14番とともに巨人の永久欠番となりました。

これが日本プロ野球界最初の永久欠番です

 

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