背番号3はやっぱり長嶋茂雄さん。ミスタープロ野球ですね。
選手としても輝かしい成績ですし、監督としても実績がありますね。
あの松井秀喜さんをドラフトで引き当て、そして稀代のスラッガーに育て上げました。
2013年松井さんとともに国民栄誉賞を受賞しています。
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長嶋茂雄
ながしま しげお
永久欠番
1957年立教大学からドラフト1位で入団。1958-1974が選手として
2000-2001が監督として。
生涯成績
試合数2186 打率.305 本塁打444 打点1522 盗塁190
本塁打王2回、打点王5回、首位打者6回
現役時代
3部門タイトル13回と実績も申し分ありません、最高の右打者です。
王さんとのONアベック砲は106回と破壊力抜群でした。
短期決戦にも強く、日本シリーズMVPを4度受賞しています。
長嶋さんの現役時代のエピソードも伝説ですね。
・ホームランを打ったのにベースを踏み忘れてアウトになった
・フライで飛び出して3塁から1塁に帰塁する際、
セカンドベースを経由せずまっすぐに1塁に帰ってアウトになった事が3度もある
・チャンスに強かったので敬遠が多く、
敬遠に対する抗議としてバットを持たずに打席に入ったことが何度もある。
・敬遠球を打ってホームランにした。(2回)
豪快に空振りした長嶋さんのヘルメットが勢いよく吹っ飛ぶ事が良くありました。
ファンは喜び、相手投手は威圧されたりします。
これは実は作戦で、少し大きめのヘルメットをわざとかぶっていたと後で言っています。
【Hickeyの今日は何の日?】
今日(10/14)は
【長嶋茂雄が引退した日】昭和49年10月14日
読売巨人軍の長嶋茂雄が
いわゆるひとつの現役を引退😭
『私は今日引退を致しますが
我が巨人軍は永久に不滅です!』#学校じゃ教えてくれない大事なこと pic.twitter.com/eAy56gFgyZ— Hickey☆Blog 🇯🇵 (@HickeyBlog) 2017年10月14日
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現役引退後
1974年「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言とともに引退して、
即監督就任します。
就任1年目にいきなり最下位になってしまう。しかし、翌年にはリーグ優勝。
6年間で6位→1位→1位→2位→5位→3位で日本一はなし。
1980年オフに退任されます。
その後、解説者等を経て1993年より監督復帰。
(この間他球団より監督オファーが有ったが全て断ったと言われている)
第2期の監督時代は9年に渡り、
3位→1位→3位→1位→4位→3位→2位→1位→2位と日本一を2度経験しています。
この間には国民的行事と名付けた1994年同率首位で迎えた中日との
「10.8決戦」
1996年11.5ゲーム差をひっくり返した「メークドラマ」
2000年の日本シリーズでの「ON対決」など、
抜群の話題性でプロ野球界を盛り上げました。
「努力してます」と練習を売り物にする選手は、一流とはいえない。 長嶋 茂雄(プロ野球監督) pic.twitter.com/KOgHtGQc1A
— 深イイスポーツ名言集BOT (@sportsmeigen01) 2019年7月14日
その後、アテネオリンピックに向けた日本代表監督に就任。
アジア選手権で優勝し、オリンピック出場が決定した。
しかしオリンピック前に脳梗塞を発症し、監督としての出場はなりませんでした。
その後リハビリに努めて、東京ドーム観戦や国民栄誉賞授賞式などには
元気な姿を見せています。
以上、巨人の背番号3 長嶋茂雄さんの記事でした。